今日の天気は、どうだろう。
髪をくしけずる人の後ろ姿を眺めて、姜維は寝台の上でゆっくりと身体を起こした。
かの御方は、視察に赴くのだという。遠方、山間の小村へと。
曇りであればよいな、とおもう。
髪が整い、白緑の衣装をまとったのを見ていると、ふと、雨にならないものかと想念が湧いた。
早朝の出立に配慮して、夕べはおとなしく眠りについた。
髪と白緑の衣装がなかば整ったあたりで、未練を振り切り身なりを正した姜維は、室を辞した。
自室に戻り、鍛錬用の武装束を整えたところに、伝令の兵が飛び込んできた。
「丞相!!」
晴れが、よい。
「丞相。参りましょう」
かの人の肩を抱くようにして、外へと。
空を見上げて、気づいた。
あなたの傍にいられるのならば。
「ああ、暑い。身体の芯から熱い。なのに背筋はぞくぞくと寒いのだ」
「汗をお拭きいたしましょう」
「軍師。そろそろ戻られよ」
「風邪がうつったら、どうするのです」
えっと。
「もう、寝る。おまえらもう行け」
「ふふふ、新作の薬の効き目は抜群のようですね」
寝たんじゃない。おまえらが仲良しすぎて当てられたんだ。
しかし、身体が軽くなったのは確かだ。
お題配布元:Nameless様 http://blaze.ifdef.jp/
建安13年。長江・赤壁にて孫権・劉備の連合軍は曹操と対峙し、火計により撃破。
南屏山拝風台にて東南の風を祈祷したとされる軍師諸葛亮は、追っ手を逃れ、劉備軍に帰陣していた。
「孔明が、目覚めないのだ、趙雲」
主君に問われて、趙雲はその精悍な眉をひそめた。
「はぁ・・?」
精根が尽き果てたのか、軍師は昏睡のような深い眠りにおちていて、目覚めないのだという。
仮の陣地である。急ぎ、移動する必要があった。
「耳元でメシだぞ!!~って叫んだら、飛び起きるんじぇねえのか」
「無理だろ、お前じゃあるまいし」
張飛の提案を劉備があっさりと却下する。
「枕元に、軍師の好物でも置いたらどうか」
見事なひげをしごきながら関羽が提案する。劉備は手を打った。
「好物か。ふぅむ、良いかもなあ」
好物を置いたら目覚めるって、どこの幼児だ。趙雲は内心であきれた。しかしながら一方で、あの変わり者の軍師なら、そういうこともありそうだという気もする。
「孔明の好きなものか。ふぅむ、そうだなあ、本と、菓子と、・・・あっ、」
なぜか、劉備と張飛と関羽が、趙雲を振り返った。
「・・なんです、主公?」
そんな期待を篭めた目で見られても。戦場に、本や菓子なんて持ち込んでいるはずもない。
劉備に背を押されて、趙雲は、軍師の天幕へと押し込まれた。
軍師はうすぐらいなかに横たわっていた。
ぴくとも身じろがず、人形のように。
近寄って、膝をつき、のぞきこむ。
(・・痩せたな)
そっと、手を伸ばした。
頬に触れる。
「起きてください、軍師」
ひたいにも、触れた。こめかみにも。そしてもう一度、頬に。
「あいにく本も、菓子もありませんが。あなたを待っているものがおります」
ゆるやかにまぶたが震えた。
ゆっくりと、うるわしい黒眸があらわれる。
諸葛亮は、やわらかく微笑した。まるで花がほころぶように。もう人形にはみえない。
「・・・おはようございます、趙将軍。朝、目が覚めてさいしょに見るのがあなたの顔だなんて、なんてよい一日のはじまりなんでしょう」
趙雲は、ふっと息を吐いて、立ち上がり、冷静に突っ込んだ。
「いまは夜です、軍師」
天幕の外で劉備が腹を抱えて笑っていた。
「心配して損したぞ、孔明。元気じゃないか」
「目が覚めたなら、ようござった」
ゆったりと構える関羽。
「愛の力すげえ」「本と菓子に勝ったぞ将軍」
兵卒がさわぐ。
軍師が、幕舎から出てきた。うーんと伸びをしている。
「食事を」
「ひさしぶりに、聞きました、将軍のそのせりふ」
くすくすと軍師が微笑する。長江をふきぬける風より軽やかに。
惹きあうように近づいて。
こつん、と額同士が触れあった。
「おかえりなさい、軍師」
「ただいまもどりました、将軍」
法正は書物を放り投げた。
けれど、また起こしてしまった、と思う。身じろぎすらしていなくても、馬岱は諸葛亮が目を覚ますと必ず起きる。