はらりはらりと散る花のなか、ほろりほろりと夜が更ける。
昼間から、花見の宴を張っていた。
曹操の後宮には歌妓や舞妓あがりの女性も多くいる。それらを舞わせ歌わせているうちに夕刻を過ぎて日が落ちれば、灯をいれて宴をつづけた。
夜がふけ宴果てて、曹操はいまを盛りの花の下、ひとりぼんやりと花を見上げていた。
人払いをしているのでまわりには誰もいない。宴の残骸――料理の皿や酒壺は、あたりに散乱したままである。
さやさやとひそやかな衣擦れがし、曹操の背後に、ひとりの文官が膝をついた。
「お召しにより参上いたしました、主公」
「…おう。待っておった」
目に見えぬ背後にいても、えもいわれぬ芳香が漂ってくる。それを愉しみながら、曹操は振り向いた。
「荀彧」
「はい」
現われた曹操の寵臣は、きわだった気品の持ち主だった。袖をはらう仕草、さげたこうべを上げる間合い、ほんのちいさな挙措でさえ他の誰にも真似できぬ品位にあふれている。
「酌をしてくれぬか、荀彧」
「ご命令とあらば」
冠をいただいた頭頂から衣のすそ、指先にいたるまで、荀彧には隙がない。うなじにかかる後れ毛までもが、気品に満ちている。
曹操は、注がれた酒を口にふくんだ。
「花が散るのう…」
「はい」
「おぬしを散らしたい、と言ったら。どうする、荀彧よ」
「ご命令とあらば」
荀彧の眸は澄んでいるが、底はない。澄んだ湖面でさえ一石を投じれば揺らぐというのに。荀彧の眸は揺らがない。
「私は主公の臣下でありますれば、御命令にはさからいえません。…命じてごらんになられますか、主公」
けぶるような美貌に、曹操は、ふ、と鼻を鳴らす。
「いいや。やめておこう。…いまはまだ、な」
こくりと喉をならして酒を乾し、あいた杯に美酒をそそいで差し出す。
「飲め、荀彧」
花がひとひらひらりと散って、注がれた酒の表面に浮いた。
「頂戴いたします」
荀彧は、花ごと酒を飲みくだした。