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YoruHika 三国志女性向けサイト 諸葛孔明偏愛主義
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雪が降ってきた。
あまりに寒いため炭を焚きすぎ、執務室の気が悪くなってしまったので息抜きを兼ねて室外へと出た法正は瞬間、片方の目を見開いて片方の目を細めるという器用なことをやってのけた。
白衣の賢人が廊下を歩いていた。
しずしずとかいう音がしそうな歩みだった。
櫛目も麗しくきれいに撫でつけられた黒髪はひと筋の乱れもなく、わずかに額に落ちかかる短めの髪でさえもわざとらしいくらいに整っている。
そう、整っている。
整っているのだ、この軍師は。法正はちぇっと無法な舌打ちをしそうなくらい苛立った。

法正の存在に気付いた軍師は、かるい会釈をしてきた。
イラつきはぼっと火をついたように大きくなり何か、嫌味とか、皮肉とか、風刺とか、中傷とか、当てつけとか、そういう毒舌をものすごく吐きたくなった法正はそれを口にするために息を吸い込んで、しかしぎょっと目を見張った。
重々しく揺れる白衣の裾からひょっこりと幼児が顔をのぞかせ、愛らしい唇が舌足らずの言葉を紡いだ。
「ゆきってなぁに?」
「・・はぁ?」
「こうめいがこれはゆきだっていうのだけど。ゆきってなぁに」
ふんわりと首をかしげて幼児が見上げてくる。
「阿斗様のご下問ですよ、法正殿」
「阿斗、様?・・・劉備殿の御子ですか」
「ええ」
面食らった法正に対してかるく下げた臥龍の頭頂で、冠につけた房飾りが揺れた。
「答えて差し上げてください」

雪って、なぁに?
実に幼児らしい質問である。法正は腕を組んだ。
ふいっと見ると臥龍と目が合い、法正は声をひそめた。
「・・・どう答えればいいんですか」
「普通に」
「普通って何です。こっちは幼児の相手なんかしたことないんですがね」
臥竜がふっと目を細めた。まったく、馬鹿馬鹿しいほど見事な黒眸である。まるで宝玉のような。

「・・雪とは、ですね」
「うん」
法正がしぶしぶ口を開くと、阿斗君はじっと法正を見上げた。
美しい御子である。やわらかそうな頬に、けぶるような瞳。春霞の中に咲く桜花のように優しげな顔立ちだ。
「・・・・空の上に、女神がいて、降らせているのです」
「・・・っ」
上のほうで空気が震動したので目を上げると、臥竜は白羽扇で口元を隠してうつむいていた。
笑いやがったのか、この人?報復するぞ、と即座に思ったが、臥竜が笑ったという証拠はなかった。
「・・・めがみ、が、ふらせているのか」
ほう、と感心したように御子が目を見開いた。
「俺は小さいとき、そう聞きましたがね」
「・・・だからこんなにきれいなのだな」
阿斗君はふんわりと、やわらかく笑った。

「では今日は、その雪を降らす女神が出てくるご本を読みましょうか、阿斗様」
「うん・・・でも、よむより、きくほうがいい・・・こうめいよんで」
「法正殿に、ご本がどこにあるのか聞いてくださいませんか、阿斗様」
「・・・どこにあるの?」
おっとりとした御子である。無垢な瞳で見上げられた法正は、鼻に皺を寄せた。
「淮南子ですか、諸葛亮殿。そんなもの、ここの書庫にあったかな」

淮南子は前漢の時代につくられた書物だ。
雪を降らせる青女という女神の話がでてくる。
「あるとしたら、このへん――・・・・」
埃のかぶった古い竹簡をひっくり返す。書庫というのは北向きにつくられていて、くっそ寒い。ので、御子は別室で待たせてある。
幼児のお相手など御免だが、劉備の子となれば話は別である。
「・・・えらく、手慣れているんですな」
「阿斗様のお相手ですか?ええ、まあ・・・劉備様にお仕え始めた年に、お生まれになったものですから」
「へえ」
生まれたときからの付き合いってわけか。そりゃあ、慣れもして可愛くも思えるもんなんだろう。

書物を見つけてくそ寒い書庫から退避する。
あまりに寒かったので、法正はもっとも手近な暖かい場所――己の執務室を提供した。
臥竜が床に端座し、阿斗君はちょこんと臥龍の横に座し、臥龍が書物を開いた。
「天地未形、馮馮翼翼、・・・」

初めに無があった。無の中から宇宙が生まれた。宇宙から気が生じ、透明で清らかな気は天になり、重く濁った気が地になった。

淮南子の天文訓を読む臥龍の声が静かに流れる。
法正は文机に向かってだらだらと仕事をしながら口元をひん曲げていた。
臥龍の声は美しい。声音、抑揚、すべてが沈静にまとまっていて不整合なところはない。
臥龍の腹の中はおそらく、法正に劣らず真っ黒なんだと思う。いやおそらく、法正など及びもつかない闇を抱えている。
それでいて彼の外見および言動は白く破綻が無く、美しく整っている。

阿斗君はおとなしくじっと耳を傾けていたが、やがてすこしずつ姿勢を崩していって臥龍の膝に頭を乗せた。
甘えるというには自然すぎる仕草であるが、甘えているのだろう。臥竜に甘える幼児。へんな光景だ。臥竜は気に留めずに朗々と音読を続けている。
というか、臥龍が劉備に出仕した年に生まれたというのなら、実は幼児と呼ぶような年齢ではないはずだ。だが、ふっくらとした頬やこじんまりとした身体、おっとりとしてあどけない様子が、少年と呼ぶよりは幼い子どもといった感じがする。

「こうめい」
「はい、なにか?」
御子が幼児っぽい仕草で目をこすった。
「・・・ねむくなった」
「おや」
臥龍は目を細めてうすく笑った。腹黒くも何ともない、慈愛を感じさせる微笑だった。
白いのか黒いのか闇なのか月なのか。それとも、それらの全てなのか。法正は机に頬杖をついて、子守りをする臥竜を眺めた。
阿斗君は臥竜の膝で眠ってしまった。
「侍従を呼んでいただけますか」
「なんでです」
「私も政務がありますので」
「ここでやりゃあいいじゃないですか」
提案はあいまいなまま流されて阿斗君付きの側仕えが呼ばれ、阿斗君を抱き上げて退出していった。
「お邪魔をいたしました。私もこれで失礼を」
膝枕って、しびれないのか。しびれて動けなくてすっ転んでくれたら面白いのに。
意地の悪い予想は外れて、臥竜は遅滞なく立ち上がった。
「ああ、本は置いていってください。久しぶりに読みたいんで」
「分かりました」
一礼して、しずしずと去っていく。
法正はごろりと床に寝転んで、書物を開いた。

初めに無があった。無の中から宇宙が生まれた。宇宙から気が生じ、透明で清らかな気は天になり、重く濁った気が地になった。
陽の気は火になり、もっとも純粋な火があつまって太陽になった。
陰の気は水になり、もっとも純粋な水があつまって月になった。


劉備殿が太陽だとすると、あんたは月なのか。
だからあんたを見ると、いつも苛立たしいのか。
天の月を地に堕としたいと思うのは、俺が悪党だからなのか?

法正は書物を放り投げた。
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