成都の朝は、すこし遅いのかもしれない。
東に、峻険な山があるからだ。
山並みの稜線が金色に縁どられることから、朝がはじまる。
陽が登るまえから、あたりはしらじらと薄明るい。
馬超の朝はそれなりに早い。
しらじらとなるまえから、たいてい目を覚ましている。
寝台で目を開けた。
朝は嫌いではないが、不思議ではある。
夜明けの気配は不思議だ。張りつめたものと、ぼんやりしたものが交じり合っている。
目が覚めるということもまた、すこし不思議だ。
まだ生きていることが、なんとなく不思議な気がする。
左側にぬくもりがあった。
これがここにあるときは、いつも、左側にある。
利き手の右は空けてある。窓と扉の位置からして、侵入者があるとしたら右からだ。剣も、右に置いてある。
ともかくも起きあがろうとして、起きにくいことに気付く。
うつ伏せ気味に横向きに寝た者が左の袖の大部分を敷きこんで、ぐっすり眠っている。
たぶん、少しの力ではどかないだろう。
そして、少し以上の力ではたやすくどけられるだろう。
「孔明」
返事はなかったが、あることを期待していたわけではなかった。
別に、目を覚まさせようとしたわけではない。
むしろ、何故呼んだのか分からない。
思えばこれも、不思議な存在ではある。
馬超はこれに触れることを、許されている。何故許されているのか分からない。
聞けば、答えが返ってくるのかもしれないが、聞きそびれたままだ。
実は、本人以外には聞いたことがある。蒼銀の鎧の黒髪の武将には、尋ねてみたのだ。
『あの人は、誰とでも寝るわけではないよな』
絶句、された。
『何故、俺と寝るのだろう』
腹に、拳を入れられた。微塵もカケラも容赦なく。大体、顔でなく腹だというところが既に容赦ない。
不思議だ。
考えているうちに夜が明けてきた。
同衾の相手はこの国でもっとも多忙な人物であるので、起こしたほうが良かろう。
「孔明」
起きる気配はない。
すこし身じろいだだけだ。
「孔明」
どうしたものかと考えたがよい考えは浮かばず、
「孔明。――俺は、もう行くぞ」
寝入っている身体の下から、敷き込まていた左袖を引き抜く――引き抜こうとしたが、果たせなかった。
骨の細い頤がゆっくりと息を吐く。濃い睫毛が震えて、まぶたが開く。
「・・もう、朝ですか」
呼んでも揺すっても起きない孔明は、馬超が寝台を離れようとすると、目を覚ます。
不思議だ。
ああ、もう朝だぞと答えてやりながら、馬超は思う。
餓鬼のころは、不思議なことが沢山あった。
長じるにつれ不思議は減ったが、その分、不思議の度合いが深い、ような気がする。