落ちてしまったな、と思う。
まったくいい年をしてと思うし、想定外だという焦りもすこしある。
こんなふうになるとは想像していなかった。
こんなふう・・・つまりは一緒にいると心に火が灯るような心地になったり、ほんのすこし触れられると身体に火が灯るような心地になったり。軍務につく相手を目で追ってみたり、そのままいつまでも見ていたくなったりもする。
特別なひとりの人を持つということがこういうものだとは、知らなかった。
こんなにふうにくすぐったくて、心地よくて、気恥ずかしいものだとは。
恋とはするもんじゃない、落ちるものだとは、よく言ったものだ。
以前なら笑いとばしただろうが、いまはまったく笑えない。むしろこんな状態であることが人に知られたら笑われるだろう。腹をかかえて大笑いしそうな知り合いが何人も浮かぶ。
うちにおいでよ、といざなわれた時、すこし困ってしまった。
政務がまだ、みたいなことを言ってみたのだかまったく本心ではなかった。
そういうことをするのかなと、反射的に思ってしまって、自分のその思考に恥じ入ってしまった。
彼はあまりそういうことに熱心ではない。かといって淡白というわけでもなく、とらえどころがない。
私はというと、同じくそちら方面には熱心ではないし、淡白だ・・・と思う。思っていた。いや今でも淡泊だ・・・なはずだ多分、おそらく、きっと。
多分、おそらく、きっと。性欲ではない、これは。
胸の奥底がうずくような感じがして諸葛亮はすこし困った。
そのうずきはみぞおちのほうにもあって、そのあたりがほの熱い気もする。
身体を交わらせなくとも良いのだとは思う。しかし、触れたい・・・と望む気持ちがあることはいなめない。
それこそ良い年をして。しかも男同士であって、しかもしかも諸葛亮が受け役だったりする。
そのうえでふれあいを求めているのだから、途方に暮れるしかない恥ずかしさだ。
彼の屋敷に伴われ、食事をふるまわれて彼自身が薪をくべて沸かしたという風呂を馳走になった。
飄々としてとらえどころないが、馬岱はやさしい。
ただ馬岱のやさしさや献身は幅広く万人に向けられたものではなくて、実はものすごく狭く限られた範囲の対象にのみ発揮する。
人あたりがよくていつも笑っている彼が、実のところたいせつにしているものは、ものすごくわずかだ。
その対象がいまは自分であることが、うれしい気もするし切ないような気もする。
風呂から上がった諸葛亮と交代に、馬岱が風呂を使いに行った。
ほかほかとゆであがった身体を籐の長椅子で休めていると、おどろくほど早い時間で馬岱が風呂から上がってきた。
元から風呂が短いのか、それとも・・・自分とはやくふれあうためにさっさと済ませてきたのか、よく分からない。分からないが恥ずかしい。政務をとるときのような冷静さは戻ってきそうにない。・・・恋人と過ごす時間に冷静さなどいらないのかもしれないけれど。
「髪、乾かす前に切っちゃう?」
にこっと話しかけられてうつむく。動揺してしまったのだ。
馬岱はもちろん武将として過不足のない体躯をしているけれど、際立った体格や容姿をしているわけではない。呉の美周郎や陸伯言、わが陣営でも馬超や趙雲といった武将はずば抜けた容姿をしている。
だけど彼らの華やかで美しい容貌が諸葛亮に感銘を与えることはないし、ましてや動揺なんてしたことはない。
馬岱の笑顔だけなのだ。・・・・・こんなふうに気恥ずかしくて、いたたまれない気持ちになるのは。・・・・それでいてしあわせで心と体に灯りがともるような心地になるのは。