背中があたたかい。
趙雲は床にあぐらを組んで槍の切っ先を磨いている。彼は書物を読んでいる、趙雲の背にもたれかかって。
竹を綴りあわせた書簡が時折からからと乾いた音を立てている。
くすりと、彼が気配だけで微笑んだ。
「・・・将軍。槍の刃って、四度も磨かなくてはならぬのか」
「、・・・」
一瞬、息を止めて、止めた息を吐いて、磨いていた槍と絹布を敷物の上に降ろした。
「気付いておられたのか」
「気付いていない振りをしようかとも思ったのだが。そんなに磨いては、槍が磨り減ってしまいそうで」
「すり減ることは、さすがにありませんが」
「そう」
袖を払う衣ずれがして、からからと音がして竹の書簡の読み終えた部分が巻かれて、未読の部分が広げられる音がした。
外は雪でもちらつきそうな凍えた夜空。しかし室の中は炉の火が燃えていてあたたかい。そして触れ合った背中同士も。
「背もたれが無くなると、お困りだろうかと」
また彼が笑った。今度は気配だけではなく、喉を震わせて。
「・・そうだな。とても困る」
「左様か」
今夜の彼はやけに素直だなと、思う。
背もたれになるのはやぶさかではないが、こちらは手持ち無沙汰。ちらりと視線を走らせるも、白い手に持たれる書簡は長いもので、速読の彼といえどもまだまだ読み終わりそうにない。
趙雲はふいと身体の向きを変えると、軍師の背をおのが胸に抱き込んだ。軍師の左右の脇の下に腕を通し、軍師のみぞおちの前で、両手を重ね合わせる。
「・・・・・・将、」
「子龍、と」
耳元でささやくと、目の前の耳朶がじわりと薄い朱に染まり、心地悪げに身じろぐ。
「、読みにくい」
「何故?邪魔はしておりますまい」
「落ち着かない・・・」
「俺が、槍を磨きながら落ち着いていたとでも、お思いですか」
「貴兄が落ち着きを失った様など、見たことがない」
「想う方がこのような距離にいて、落ち着けというほうが無理だ」
軍師がまた身じろぎ、視線をさまよわせた。
「読書の続きを、どうぞ。――その書を読み終わるまでは、背もたれでいて差し上げましょう」
「背中合わせの、ときは・・・対等だったのに。これでは、――・・」
「これでは?」
「――拘束、されているようだ」
ただ緩く両手を廻しているだけで力は込めていないが、軍師にしてみればどこにもいけない体勢だ。
趙雲は艶やかな苦笑を浮かべた。
「いえ。これくらいでちょうど対等、ですね」
貴方という存在にがんじがらめに囚われている我が身を思えば。
この程度の抱擁で拘束、などと言ってもらっては困る。
背中を合わせているより更にあたたかい。彼の体温をより強く感じる。
それに視覚の存在は大きい。秀麗な容貌も、重々しい袍に包まれた実は細い肢体も目に入る。
「――はやく読み終わってください、軍師。俺の我慢が限界を超えないうちに」
見事な黒髪に口を寄せてささやき、悪戯に耳朶を噛めば、そこはさぁっとあざやかな朱に染まり、軍師の手から長い書簡が転がり落ちた。
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