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YoruHika 三国志女性向けサイト 諸葛孔明偏愛主義
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何に使う器なのだろうか。
持ち上げるとずしりと重い青銅の器で、複雑な文様で細工がしてあった。


成都の城に集められた数人の商人は、それぞれに粋を凝らした品物を持参し、卓に張った夜色の布の上に並べていた。
簪や扇など身を飾る、繊細な、あるいは華麗な品々。技巧を凝らした茶器や文具といった実用品。
劉禅様がお妃様への贈物を選ぶという会合だった。劉禅はすでに美しい翡翠で飾られた銀細工の首飾りと、あざやかな彩色の花瓶を選び取って退室しており、城勤めの女官や官吏が、自身の買い物と目の保養にと、広間をそぞろ歩いている。

若い将が姿を現すと広間がざわりと揺れた。
武装しておらず平服である。白い大袖の内衣に、灰緑色に水色を織り込んだ袖なしの上着、黒革の帯。簡素な金具でまとめただけの濃茶の髪が、歩くと流星のように尾を引く。
地味な衣服のくせに人目を惹きつける。姿勢も良いが、なによりも姿の良さが際立っている。
息を呑むような端整な容貌であるのだが、樹木の色の髪が無造作に額に落ちかかる様やほどよく日に灼けた膚が、男性的で凛々しい。
よく鍛えた堂々とした体躯であるのに腰のあたりは若々しく細く、伏せ気味の眼を縁取る睫毛が濃く翳を落として、心を騒がせるような色気をただよわせている。

商人やその伴の者、女官、文武の官の視線が彼にあつまり、さざなみのような感嘆のため息が音もなく波及する。ただ、反感の舌打ちも多く混じっていた。
まといつく視線にまったく意に介した風もなく、隙のない足運びでひととおりの品定めを済ませると、導かれるように彼は広間の片隅で足を止めた。
「・・・お目が高うございますなぁ。春秋時代の逸品です、姜将軍」

若い将軍が青銅製の小ぶりな器を手に取ったのを見て、見る目があるなと商人は目を細めたが、同時に苦笑も浮かべた。
よりにもよって、それかよ、と思う。
滅多に手に入らない自慢の品。本音をいうと、手放すのが惜しい。
「――春秋」
400年以上前の時代を、武人はそっと唇に乗せた。


成都の城に出入りする豪商は、ぷかりと煙草をふかした。
宮城の中でやるには無作法なのだが、荊州の時代から劉備軍に出入りして融通を効かせてやっているので、その無礼を咎められることはない。
「山東の出土品でして」
「なんだと?」
将校の表情が大きく動いた。
へえ、可愛げがある顔するじゃねえか。
商人はおもしろそうに口端をゆがめた。
青年は急に熱心に、器をいじりはじめる。
「これは、蟠龍文だな」
「仰せのとおり」
流石は、麒麟児と称される傑物。若いのに博識なものだ。
「――貴公のお師匠殿に献上しようと思って、持ってきたんですがねえ」

蟠龍とは、まだ天に登ったことのない龍をさす。
器に刻まれた龍の周りには荒々しい雲が意匠として細工されており、力強い躍動感があった。

「若いころの臥竜殿は、ちょうどそんな感じだったぜ。劉軍は弱小で、端から見りゃあ地面を這いずってるようなもんだったが、これから天下に躍動しようって気概に満ちてたな」

昔を思い出した商人は、ただよう煙草のけむりに片方の目をすがめ、慇懃な口調をくだけたものに変えた。

「丞相の、お若い頃・・・そんな頃からの付き合いなのか、其方は」
「そうだなぁ。漢水を渡る船が欲しいって、おれのところに来たのが、はじまりだ」

「これを、買いたい。言い値を払う」
「姜将軍。もうちょっと交渉ってもんを学んだ方がいいぜ。商人に向かって、言い値で良いなんて、禁句だぜ?」
「これで足りないか」
「いやあんた、もうちっと、人のいうこと聞けよ」
ずいっと差し出された袋に開けてみる。貨幣だとしたら、軽い。しかし中身は銀だった。詰まった銀の粒の多さに、商人は顔をしかめた。若者が持ち歩くような額ではない。
「なんだこれ。将軍職ってたって、魏領から下ったばかりの若造が、なんでこんな大金を持ち歩いてやがるんだ?」
「丞相のお傍に侍るのだ。非常時のそなえは必要であろう」
当たり前だというような調子で返される。
「うお、健気だな・・」
「それで、足りるのか」
「ああ、足りるってことでいいや」
骨董品なので値のつけようがない。
売るのが惜しい珍しい逸品なので、ふさわしい人物の手元に置くのがよかろうとおもって、持ってきたのだ。
どうせ、ただで臥龍に譲ってやる積もりだった。彼の弟子に売りつけたって、構うまい。
高値すぎて、臥龍に怒られるかもなぁ。
想像した商人は肩をすくめ、西蔵(チベット)産の煙草をふかした。
臥龍には、揚州産の墨でも渡しておくか。


老年の域に入る商人からすれば孫のような年齢の青年は、近くで見ても美形だった。
くっきりとした目鼻立ちにきりりとした眉、まったくもって見目の良い青年将校である。愛想の欠けらもないのが玉に疵だが、この凛々しくも端麗な青年に愛想があったらややこしい事態になりそうで、このままで良いという気もする。


臥龍は、こういうのが好みなのかねえ?
手のひらにおさまるほどの大きさの青銅器を、綿入りの布袋にくるみながら、ふと思う。
「これが好みじゃあ、おれが振られたのも、しょうがねえなあ・・」
布袋で手渡しながら、思わず心中を口に出してしまった。
青年のきりりとした眉がひくりと動く。
「・・・其方、丞相に」
声に殺気がにじんだのを感じたが、商人はじゃらじゃらと腕につけた装飾品を鳴らして、煙草をふかした。
「昔の話だぜ。臥竜は綺麗だったし。おれもたいがい各地を旅して色んな人間に会ったが、臥竜みたいなのは初めてだったんでな。加えて頭まで絶品とはなぁ。で、おれのもんにならないか、と」

おお、戦場だったら叩っ斬られてんな、おれ。
噴き上がるような殺気を感じて商人は、殺気をかわすようにひょいと洒脱に腕を組んだ。
ちらっと青年の腰を見たが、宮中ゆえか、丸腰だ。
丸腰だろうが、一流の武人である彼が本気になったら瞬殺であろう。

「春秋の青銅器は山東がいちばん出来がいいんだ。山東は、臥龍の生まれ故郷だろ。そいつは、臥龍にやろうとおもって持ってきたんだ。逸品だぜ、大事にしてくれ、姜将軍」

臥龍の故郷、というあたりで、ふっと息を吸うように殺気を消した青年は、視線を伏せ、はにかむように微笑んだ。
「・・・丞相に差し上げる・・」
うっぅわぁ、可愛いな、こいつ。
こんだけ顔よくて武術も用兵も一流で、軍略もあって。死ぬほど不愛想なくせに、臥竜を呼ぶ声だけこの甘さなのか。

修練の用意をしなくては、と日の傾き具合を気にしつつ、青銅の器を大事そうに持って青年将校は出て行った。



しばらくぼさっと放心していた商人は、きよげな薫香に気付いて顔を上げた。
「相変わらず、その草を愛用しているのですか。そのうち臓腑をやられて死にますよ」
「今も昔も過労で死にそうなあんたに言われたかねえな」
「老けましたね、少し」
「あんたはびっくりするくらい変わらんな」
彫刻のような白皙の容貌も、夜のように黒い髪も。
地位が上がっているくせに着るものも言動も。

『新野の民が、劉備様に付いてくる。かれらを逃がす船が必要なのです』
変わらない。静やかな佇まいも、清廉な思考も振る舞いも。
穏やかなふりをして内側に焔のような烈しさを秘めているところも。

「これを貰います」
夜色の布の中から彼が手にとったのは、いつも彼が私用で買うような硯でも筆でもなく、新緑色の織り紐だった。
深い緑と浅い緑と銀を織り交ぜた瀟洒な飾り紐で、両端に、透明な水晶を通している。

すごいな。分かりやすい。
あの坊やの髪紐だよな。

濃茶の髪には、よく映えるだろう。
晴れた日には、純粋無垢な水晶がきらきらと日を反射して、しなやかな髪といっしょに揺れるのだろう。

それよりも商人は、目を伏せた臥竜が控えめであるがやわらかな笑みを浮かべたのに驚いた。
ああ、うん。
分かりやすい・・・・師弟そろって。

こいつらは、自分たちが相手を想うときどんな顔をしているのか自覚したほうが良い。
そう忠告したものかどうか迷って、商人はあたらしい煙草に火を入れた。手がわずかに震えるのは、認めたくはないが老いたから。

「ご自愛ください。まだ用はたくさんございますので」
「北へ出征するんだろ」
返答はなく、ひとつだけ瞬くと彼は背を向けて。優雅な衣擦れの音を立てて去っていった。



後日、案の定、北伐の準備とやらで臥竜の執務室に呼びつけられた商人は、彼が執務に使用する大卓の上に、蟠龍文の青銅器を見た。
墨をする際に用いる水を入れておく器にしているらしい。
同室の隅っこに黙々と竹簡に取り組む弟子がいたが、樹皮色の髪はそっけない金具で留められていた。
「渡してないのか?」
こっそりささやくと、ちらりと目を上げて、
「茶の支度を、申し付けてもらえますか、姜維」
と、青年を部屋から追っ払う。

は、と返答して隙のない足運びで出て行った青年が扉を閉めると、書簡の影でほぅと嘆息する。
「・・・・大切すぎて、使えないと。きっぱりと言い切られました。一度も使ってもらえないのです」
意気消沈とした様子に、吹き出した。
「武人が使うにゃ繊細すぎるんだ、あの髪紐。もうちっと丈夫そうなやつを次から次へと渡せよ。そうすりゃ普段使いできるだろ。おれの店から届けてやろうか」
「そうですねえ・・」
あまり気乗りしないような様子に、商人はくっと唇を曲げて、夜のような黒い髪からのぞく耳に、口を寄せた。
「じゃあな、あれだ」
「なんですか」
「同衾した翌朝、坊やの髪を結ってやれよ。そんで問答無用でくくりつけちまえ」
「そのような・・」
臥竜は、恥じ入るように顔を伏せた。


「・・・貴様。丞相になにをしている」
ちょうどその時坊やが戻ってきて、修羅場になった。
すごい既視感があった。
あれだ、さいしょに臥竜を口説いたとき、おれは趙雲に斬られそうになったわけだが。
坊やの抜剣は趙雲より速かった。別に、武芸の技量の優劣ではなく。
坊やはあの時の趙雲よりずっと若くずっと短気で、要するにやばいヤツだった。
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