暴風と雨で、調練は惨々たるものだった。
涼州、ひいては西域の馬は、果ての見えない、砂礫と草原の大地を駆ける。
ぬかるんだ泥土を這いずるようにできていないのだ。
落馬した者なんて悲惨だ。
どっちが頭でどっちが顔かも区別できないほど泥まみれになる。
落馬は自業自得というものだが、泥に脚を取られ、馬が骨を折る恐れがある。
調練は予定前に、終了とした。
落馬はしなかったが、泥まみれにはかわりなく、馬の世話をしたらどうしようもなくなって、頭から井戸水を浴びた。
衣は変えたが、寒い。
濡らした髪のまま、ふらりと歩き出す
あたたかい場所と考え、その場所が浮かんだのだ。
「諸葛亮殿、あたためてよ」
「・・・・・・」
桜花のころを迎えて寒さはやわらいできたとはいえ、こんな嵐にも似た風雨の日は足元からしんしん冷える。
北向きの部屋は春といってもまだ薄ら寒く、予想通り、炉に火が焚かれていた。
巨大な執務机に書簡を積み上げた諸葛亮は、黙々と動かしていた筆を止めた。
まじまじと見られている。
なぜだか分からないが、諸葛亮がこんなふうに無言で、馬岱を見ることはよくある。
「このような日に調練をなさったのですか」
「うん、予定通りに。調練の日取りを決めてるのは諸葛亮殿なんじゃないの。昨日は張飛殿と関平殿、関索殿、今日は俺と若と趙雲殿の軍」
「それはその通りですが。趙雲殿からは早々に風雨のため中止する旨の知らせがありましたので」
「え、早く言ってよぉ――あーあ、おかげで若も俺も馬もずぶ濡れ。趙雲殿ずるいなぁ」
「そういうわけではありませんよ」
諸葛亮は立ち上がり、す、と袖を払うと鉄盆の上にあつらえてある鼎に向かった。
「風雨で被害が出た折には早急に軍を動かし、民を救わねばなりません。趙雲殿の隊は手分けして川や村落を見回っていただいております。趙雲殿ご本人は城で指揮を取っておられますが」
「もしかして、茶?茶を煮るの諸葛亮殿」
「ほかの方法で温まりたいのでしたら、よそへどうぞ」
「まさか。諸葛亮殿の茶は好きだよ。茶を煮る諸葛亮殿もね」
「・・・・・・」
炉の上に鉄輪をめぐらし鼎を据え、水を注ぐ。椅子の背に行儀悪く頬杖をついて身を乗り出した。水が煮えて熱湯になるまで見ていようと思ったのだ。
だけど視界がふさがった。
頭の上に乾いた布―――と、ためいき。
「・・・さっさとお拭きなさい」
「ありがとう、諸葛亮殿」
外は雨。もっといえば、暴風雨だ。
室の中は、煮え始めた湯から立ち昇る湯気とで、あたたかい。
がしがしと頭を拭いていると視線を感じた。
「見張ってなくても、俺、書簡に水飛ばしたりしないよ?」
「襟足をさきに拭かないと、冷えるのではありませんか」
「ん、」
馬岱は椅子に座っていて諸葛亮は立っていて。伸ばされた手を反射的に掴んだ。
冷たいくらいに整った顔が近づいて止まり、二度、瞬いた。
時が止まったような、錯覚。
こぽこぽと湯が煮える音に遮られるまでの、数瞬。
するりと手を抜き取り、誰にも出来ないだろうゆっくりとした首の振り方で後ろ髪を払って、茶の用意をし始めた痩身を布越しに眺める。
馬岱は怠惰な猫のように背を丸めて椅子に腰掛けて茶が出てくるのを待った。
だらりと手を下げてのんびりとくつろいでいるように見せかけて、やっぱり、お茶以外のあたため方のがよかったなあと思いながら。