酔ってしまった人を連れて、趙雲はすこし困っていた。
この人は酒に弱いわけではないのだが、多忙すぎて酒が疲れのツボにはいってしまったらしい。
酔っただけなら何の問題もないが、気分が悪そうだ。その上店を出た途端、土砂降りの雨。傘は持っていないし、突然の豪雨でタクシーはすべて乗車中。タクシー会社に電話をしても繋がらない。
「・・・ごめんな・・さい、趙雲殿、・・」
「いえ――」
高架の下で雨宿りをしながら、趙雲は眉を寄せる。
雨を突っ切って歩くのには不便な場所である。このごろの夏の雨は雷をともなう暴風雨で、いつ止むのかも分からない。駅に辿りつけたとしても、ずぶ濡れで電車に乗るのもどうか。
なによりはやくこの人を落ち着いた場所で休ませたいのだが・・・
周囲を見回すと、ミントグリーンの蛍光色の看板が目に付いた。いわゆる恋人同士がつかうホテルだ。
「―――・・・」
男同士で入れるのだろうか。
それに・・・・ちらりと隣に目をおとす。
この人の怒りか、軽蔑を買うのではないか。
ふつうのホテルは無いものかと見渡すが、濡れずに移動できる範囲には見当たらない。
趙雲はもう一度ちらりと隣に目をやり、ぐったりと重い身体を支えて歩き出した。
下心はない、が―――・・・・
酔わせて、雨にかこつけて連れ込んだと思われても仕方がない状況である。
自動化されたフロントに人影はなく、誰にも会わずチェックインすることができ、男同士でも支障はなかった。
パネルの光っている部屋が空きで、好きな部屋を選べる仕組みだ。
カラオケがあったり、シアタールームがあったりもするらしい。なぜか、ブランコがあるという部屋もあった。
趙雲は何の設備もない角部屋のボタンを押す。金を入れると、自動販売機の受け口のような所にカコンと鍵が落ちてきた。
それほど妙な雰囲気のない部屋だった。部屋のスペースが広く、ベッドが素晴らしく巨大であることを除けば、家具もインテリアも普通で、清潔だ。
「孔明殿、今夜はここに泊まります。楽にしてください」
「・・・ごめんなさい、ほんとうに」
孔明の呼吸ははやく、顔が赤い。目も潤んでいる。
肩を抱いてベッドに座らせ、頬に手を当てて覗き込む。
「どういう感じですか?周囲がぐるぐる回って見えたりは?」
「い・・え、胃の辺りがすこし気持ちが悪く・・て・・・」
「アルコールの吸収を身体が受け付けていないのでしょう。吐いてしまったほうが楽かと思いますが」
「・・・大丈夫です。すこし休めば」
「水をどうぞ。飲んでアルコールを薄めてしまったほうが良い」
趙雲は冷蔵庫からミネラルウォーター出して孔明に渡した。それから浴室に向かう。
浴室はドアも壁もガラス貼りで、脱衣場も浴槽も寝室からすべて見えるような造りだった。トイレはさすがに別の木製のドアだ。
浴室に足を踏み入れ、水を出す。シャツの両腕をまくりあげてタオルをしぼり、ふと見ると、寝室の孔明が上着を脱いでいるところだった。動作がひどく緩慢で、赤い顔で悩ましげに息を吐いている。
透明なガラスを通して見えるその光景が、ここがラブホテルだということを忘れようとしていた趙雲の神経を刺激する。
じっと見ていると、視線を感じたように目を上げた孔明と目が合った。
目を合わせたまま趙雲は、ゆっくりと浴室から寝室へ移動する。
動きを止めた孔明が周りを見回した。
「この・・・部屋は、あの」
「ラブホテルというものです、孔明殿」
趙雲は何の言い訳もしなかった。豪雨が降っていたからだとか、ほかに選択肢がなかったからだとか、そういうことはなにも言わなかった。
ほとんど無意識の動きでペットボトルの水を含もうとした孔明が、むせた。
こふこふと咳き込み、こぼれた水が首をつたい、シャツの襟に囲まれた胸へと滑り落ちてゆく。
「―――・・・」
趙雲は目を細め、指先をのばして濡れた喉もとのボタンを外していった。
「・・・本当にラブホテルなんですか」
肌蹴ると、見える範囲の肌がすべて酒に赤く染められている。
「はい」
浴室で濡らしてきたタオルを、その肌に押し付けた。水がこぼれた喉もと、首すじ・・・水を拭ってから面を変えて折りたたみ、額に当てる。
片手をあげてタオルを支えた孔明が趙雲を見上げた。
「・・・・・・おもったよりも普通なのですね」
趙雲は口端で笑った。
「初めてなのですか?」
「・・・・ええ、まあ」
「ブランコのある部屋の方が、良かったですか」
「ブランコ?・・・・部屋に、ですか」
「そういう部屋もあるようですよ」
「・・・・・どういう風に使うんでしょう・・・?」
この上なく賢いはずの人が、心底から分からないという顔で見上げてくる。
「さあ・・・・楽しみ方があるのかもしれません、色々と」
喉の奥で笑いながら言っているうちに、ふいに情欲がこみ上げた。
もっとけばけばしい部屋にすれば良かった。
下心があってこんな場所に連れ込んだのではなかったが、どうせ下心は常にあるのだ。
この人を抱きたい。組み敷いて喘がせたい―――いつだってそう思っている。実行したことはないが。
それは簡単なのだ。
現にこんなに簡単にラブホテルになんか連れ込んでしまえている。
ここなら泣き叫んでも力で押さえつけ、我がものにしてしまえる―――・・・・
趙雲は立ち上がり、なんとも言えない表情をしている孔明の額の濡れタオルを、額から目の上にと移動させ、視界をふさいでからその身体を器用に支えてベッドに横たわらせた。
「お眠りください、孔明殿」
孔明がなにか言った気がしたが、無視して趙雲は浴室に入り、脱衣場で服を落として浴場に足を踏み入れた。
強い水圧のシャワーを頭から浴びる。
汗が引いて心地よかった。―――情欲はいっこうに引かなかったが。
気の済むまでシャワー浴び、タオルで髪と身体を拭いながら、ふと目を上げると、横たわらせたはずの孔明が身を起こしていた。背と肩がひどく緊張しているように見える。
それでちらりとでもこちらを見れば、誘われていると勘違いをしてしまいそうだ。
埒のない想像に苦笑しかけて、趙雲は動きを止めた。
孔明は身の置き所のない表情で、おずおずと顔を上げ。
ちらりと趙雲を見た。
ガラス越しに目が合い、――裸の趙雲の体躯に視線を走らせた孔明が目を伏せる。それでいてその白皙に浮かぶのは嫌悪ではなく羞恥に見えた。
趙雲は真顔になった。
誘われた―――のだろうか、いまのは。
外では、まだ雷雨が轟いていた。