雨が降って止んでも、いっこうに涼しくはならなかった。
低くたちこめた雲に熱気が閉じ込めれているようで、ひどく蒸す。
調練を終えた姜維は、水を浴びた。
暑さはあるが湿度も高く、からりとは乾かない。髪にまといつく雫をはらい、一度解いた髪を再度きりりと、結びなおす。
そして午後からの予定のために移動する。
丞相府に、その最奥の居室に、一歩足を踏み入れて、息を止めた。
ここはいつも、ひやりとした空気に包まれている。
書物を多く保管して扱う棟であるため、日光を避ける造りになっているのだ。
真夏の暑気もここには届かない。
そして――――
「・・・・・姜維」
そこにいる人も。
姿も、着衣も、容貌も。
なにひとつ、蒸すような熱気も、湿度も感じさせない。
さらりと流れる髪も、ゆるやかな動作も、やわらかい声も。
姜維は立ち尽くす。言葉もなく。時が止まったように感じられた。
「姜維?」
あるかなきかのかすかな微笑も、書簡を持つ指先の細さも。
「熱でも、あるのですか・・・それとも暑気あたりにでも?」
ゆるりと袖が動いて上がり、手が伸びてくる。
「こんなに顔を赤くして。外はそれほどの暑さですか」
ああ、動けない。なにをしているのだ、わたしは。
丞相の下問である。応えなければ。
手が、触れた。
額に。
「・・・ほんとうに具合が?いけません、もう退出なさ」
「いえ!」
あ。―――声が出た。
「退出など、しません。わたしは。丞相」
声を絞り出す。
「おそばに、おります」
おそばに。ずっと、―――願わくば永遠に。
いつか置いてゆかれる、でも、かならず追いかける。どこまでも。
「では、執務を。あなたにはこちらの書簡をまかせます」
「は」
止まっていた時がようやく流れ出す―――流れ出した、はずだった、のに。
書簡を受け取るとき、指先が触れたので。
また、時が止まってしまった。ああ、駄目だ。
落ち着け。