*藍色趙孔
「猫が布団に入ってきたら、ああ冬になったなあと思いますね」
「そうそう。で、入ってこなくなったら、ああ春が来たなあと思う」
「違いない」
昼間、文官が話していた。猫を飼い慈しんでいる者同士の、ほのぼのとして他愛ない会話だった。
夜になって趙雲の寝室を訪れていた孔明は、昼間に聞いた話を思い出したので、語り聞かせた。
「という話を聞いたのですが」
「そうか」
「‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥?」
会話が途切れる。
孔明がその話を持ち出した意図が、趙雲には分らなかった。
この世に二つとあるまいと思われる叡智を宿した、宝珠のように黒い双眸がまじまじと己を見上げてくる意味も。
明日以降の予定とか、そういう事を話していた。
趙雲は、後日調練で行う陣形の詳細を綿密に確認し、軍で使う弓矢の補給の数量と入手経路を打ち合わせ、新たな形態の馬具についての騎馬兵たちの要望を伝え、豪族との交渉事への伴を頼まれて必ず随行することを約束した。
そこへ突然に。―――猫?
冬になると、布団に入ってくる。
春になると、布団に入ってこなくなる。
「だから、なんだ?孔明」
「あたたかくなりましたね」
「そうだな」
桜が咲き、桃が咲いて、散った。殺風景な城塞の周辺でも菜花や連翹が鮮やかな色合いで風に揺れ、山野を歩けば 月季花、茉莉花が芳香を漂わせている。
時節は、春の中の春。あたたかくなった。
だから、なんなのだ。
孔明はじっと、情人を見る。
夜の居室にいながらどうして、趙雲は具足を解かないのか。
夜の居室に二人でいながらどうして、軍務の話ばかりするのか。
・・・抱擁も、睦言もないのは、どうしてなのか。
ずっと後に、趙雲の武勇を崇拝してつけられた軍内での異名が虎威将軍というのだが、この頃から趙雲の武勇は虎みたいだと劉備は吹聴していた。
「そういえば虎って、猫の仲間でした」
虎と猫を比べるのはどうかと思うが。
二人きりで夜の居室にいながら、寝所に向かう気配が無いのはどうしてなのかと考えて、思いついたのがそれだった。
「あたたかくなると、同じ布団に入るのは、迷惑ですか?子龍殿」
趙雲は口を開きかけて、つぐんだ。そして再び開いて、しぶしぶ白状した。
「逆だ」
冬の間は、同じ布団を分け合い身を寄せ合って寒さをしのいだ。
躰を交わらせて情を通じる夜は勿論のこと、そうでない夜も、執務と軍務に冷えた躰をあたため合って共寝した。
「逆、といいますと?」
「同じ褥に入れば、欲しくなって、抑えが効かぬ」
冬と、同じように出来る気がしない。
春は動物にとって発情の季節ではあるのだが。
よい年をして。欲しい、と思う気がどうにも止まらず体内を駆け巡る。
身を寄せ合うだけでは足らぬ。深く、触れたい。欲しい。清廉な白い肢体を暴きたい。欲望が鎌首をもたげる。
疼くような、慕情。湧いて出る色欲。
春情―――とは、よく言ったものだ。
「それは、」
軍師の玉を磨いたように整った白面の目尻が朱に染まる。
座っていたのが、立ち上がった。趙雲の具足に手を伸ばし、帷子を留める金具に細い指がかかった。だが慣れぬ繊手で重く堅い留め金を外すに至らず、彼は恨めしそうに、上目遣いに趙雲を見た。
「慕情を、抱いているのは自分だけと思っておられるのですか」
孔明、と唇だけでその美しい字を呼ぶと、すい、と顔が近づけられる。
淡く唇に触れる感触がした。
「あなたをおもう気持ちに季節は、ありません。けれど、春情とは、よく言ったものです。‥‥あなたが、欲しい。子龍殿」
「明日は、豪族との交渉ではなかったのか?」
「明後日、です」
「明日は?」
「雲を読んだところ、朝からどしゃぶりの雨。将兵らの調練は中止、文官の視察も中止、――と、なるような気がします」
「それを、早く言え」
「子龍殿は、軍務の難しい話ばかりされておりましたので。同衾したくないのかと」
逆だ。
具足の留め金に手を掛ける。孔明がしても外れなかったそれをあっさりと外し、帷子を脱ぎ手甲を落とし。
寄り添い、口付けながら、趙雲は軍師の髪の束ねを解いた。
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