「聞いてくれ、孔明」
憤慨した、という調子で馬超が切り出した。
「馬に乗って市街を通っていたら、投げつけられたのだ」
馬超の大きな手のひらから、ころん、と転がりでたのは、おおぶりの蜜柑。
濃いだいだい色でつやつやしていて、まさに食べごろだ。
「ふうん…果物をね…」
孔明は柳のように流麗な曲線をえがいた眉の片方をひょいとあげ、指先で蜜柑を突っついた。
「投げたのは女性じゃありませんでしたか」
「よくわかったな。人波にまぎれて逃げる下裾が赤かった」
「…ふぅん」
「信じられん。武将にものを投げつけるなど、斬り殺されても文句はいえぬ行為だぞ?それをあえてするとは、劉備軍とは、それほど市民のうらみをかっていたのか」
馬超は心配そうに眉をよせた。
蜀の民に不安や不満がくすぶっているとすれば、その矢面に立つのは孔明ということになる。
無骨な男なりに心配しているのだが、孔明は鼻先で笑い捨てた。
「余計な心配ですよ、馬孟起。わが殿は無辜の民のうらみをかうようなかたではありません。原因はむしろ貴殿のほう…、どこぞで女性のうらみをかっているのではありませぬか?自重なされませ」
嫌味たっぷり慇懃に言い置いて孔明は席を立った。
女性が好いた男性にむかって果物を投げる、という男女の求愛の風習が実は漢人にはあるのだが、教えてやる気にならなかった。
「おい、孔明」
憤懣やるかたない馬超の声に呼び止められて、孔明はしぶしぶ振りかえった。
ぽん、といたってやる気なくなにげなく、馬超が孔明にくだんの蜜柑を放り投げてよこした。
「…」
「やる」
ぶらりと大きな体を揺らし孔明の脇を通って馬超が出て行ったあと、投果の他意はまったくないまま投げられたのだろう果物を手に持って、孔明は毒づいた。
「どうしろってんですか、こんなもの…」