部下である部隊長が高い熱を出していると聞いて、様子を見に行った。
病人は基本的に隔離される。人があつまる軍団で病を蔓延させないために。だというのに、人だかりができている。
開け放した出入り口付近にいた副官が、趙雲をみて拱手する。
「なにかあったのか」
頼りがいのある部隊長ではあるが、これほど見舞いが殺到するというのは奇妙だ。
にやりと思わせぶりな笑みを浮かべた副官が、目で室内を指した。
病人は、簡素な牀に寝かされている。熱に浮かされ赤らんだ顔、しかし苦しげというよりはひどくはにかんでいる。
桶の水に浅緑の草が浮かび、清涼な芳香を放っていた。
しろい手が水にしずみ、ひたした布をすくいあげてゆるく絞る。
それで病人の顔をかるくぬぐったあとで額に乗せる。静かでていねいな所作だった。
「いかがでしょうか」
声も静かでていねいであり、問われた病人――趙雲の隊の部隊長、戦ともなれば真っ先に敵の只中に切り込んでいく髭面の猛者が、顔を赤らめもじもじと恥ずかしそうに答えた。
「……すっとします。とてもきもちがいい」
「鎮静の効果がある薬草です。通常は火にくべて焚きますが、暑い時分でしたらこうして水に浸して使うのもよいかとおもいまして」
「なるほど。簡単だが、効果がありそうですな」
側にいた医官が、うなづいた。
「暑気あたりをやわらげるほか、皮膚の病を防ぐにも有用とおもいます。この季節でしたら容易に採取できますし」
「ご慧眼、さすがです。この夏はことさらに暑い。さっそく用いてみましょう」
「では、私はこれで。お大事になさいますように」
素衣に粗布の巾。簡素な出で立ちでありながらえもいわれぬ気品がただよう。兵舎の病室にやってきた新任の軍師に興味津々と取り巻いていた兵たちが、道を開けた。
静やかな白皙は、しかし趙雲をみとめて立ち止まり、というか、やや後ずさりし、目を伏せた。
「……趙将軍。お言いつけに背いてはおりません。兵に付き添ってもらいました」
このあいだ、ひとりで出歩くなときつく叱りつけたばかりであった趙雲は、軍師の態度に微妙な面持ちになりながらも、やはりひと言云わずにはおれなかった。
「病人を隔離するのは、病を広げないための措置です。主公の側近である軍師殿が、近寄ってはいけません。主公や軍師に病がうつったら取り返しがつかない」
きびしくもある正論に、取り巻く兵も含めてしんとなる。
「趙将軍、部隊長殿の熱は暑気あたりにて、うつる病ではありませんから」
取りなすように告げる医官の声に、静かな声が重なった。
「兵舎での病の扱い、看護や衛生のやりようを知っておき、良いように整えることもまた軍師の役目と心得えます。ですが、……主公のご信任厚い主騎であられる趙将軍がそう仰せでしたら、今後は気を付けます」
趙雲といっさい目を合わさず静かに言って礼を取り、趙雲からもっとも遠い通り方を慎重に選ぶように歩を進め、軍師は退室していった。護衛の兵がちらっと趙雲を見て、首をすくめて後を追う。
兵たちがこそこそとざわめいた。
「……え、もう来ねえってことか、軍師様」
「おれも熱を出したらあんなふうに看病していただけるのかっていう幻想を見たんだが」
「お薬を選んでもらって、汗を、こう、拭いてもらって」
「儚い幻想だった…」
「部隊長は果報者だ」
「そうだそうだ」
兵らに口々にいわれた病人は「まことに。そうおもう」と含羞を浮かべる。ひどく赤らんだ顔は熱によるものか、それとも別の情緒によるものか。
「………言い過ぎたか」
ぼつりとこぼれた言葉に、副官は肩をすくめた。
「間違ってはおらんでしょう。熱が出る流行り病は多い。主公やあの軍師殿のように代わりのおらぬ方は、近付かないに越したことはないです」
「主公はまだ頑丈であられるが。……あの方に、なにかあったら」
病室から離れて歩きながら言う将の口調があまりに真剣かつ深刻であったので、副官は将をちらっと見て、今度は首をすくめた。
「そうならぬよう、将軍がお守りすればよいのでは」
「守るとも。だけど、それは、それとして」
「なんです」
「私が熱を出しても、あの方に看病していただけそうにないな…」
副官は目を泳がせる。
「将軍が熱を出して寝込むこと自体、ないでしょう」
「そうだが、しかし」
暑気あたりになんて、なったことはないのだが。
……この先もならないとは限らないじゃないか。
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