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YoruHika 三国志女性向けサイト 諸葛孔明偏愛主義
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陽射しが、なだらかな丘陵が続く大地を撫でていた。
軍の駐屯地からほど近い森の中。

「軍師。そちらは、草ばかりですが」
「草と侮ってはいけませんよ」
「はあ」

書庫に篭りきりで顔色が悪いように見えたので、連れ出した。
軍師は風流を解する方のようだから、花でも咲いていれば気分も晴れるだろうかと思ったのだが。

見渡す限り草しかない。いや、ところどころに、白や紫の小さな花も咲いてはいるが。
可憐なそれらには目もくれず、軍師はしゃがんで草を観察し、摘み始めた。

「これは、食用できます。こちらは薬になりますね」
「ああ、なるほど……軍師は、そのようなこともご存じなのですね」

同じものを摘もうとして、止められた。

「趙将軍、そちらは食べられません」
「では、これは?」
「残念ながら、そちらも」
「これは当たりでしょう」
「はずれです、将軍。それは茎の汁でかぶれることがあるので、触れないほうがよろしいかと」

毒性がある野草もまぎれていると聞いて、あきらめた趙雲は立ち上がった。
軍師は一本一本の草を慈しむように触れ、大切そうに摘み取っている。


風が吹くと、軍師がまとった淡色の衣がふわりと広がる。
軍議の場にて鮮やかな戦略を披露して主公に褒められたときも、その策にて苦しい戦況をくつがえして勝利を手中にし、将兵が湧きたっているさなかであっても。
この人はどこか苦しそうだった。

春の野で、食べられるという草を摘んでいる姿の方が、はるかに幸せそうに見えた。


「これも食べられますよ」

 諸葛亮が差し出してきたのは、小さな緑の芽だった。
 受け取り、手のひらの上で転がてみる。
 淡い緑色をした、小さな命の塊。

「煎じて飲むと、美味しいのです」
 「お茶に?」
 「ええ。今夜、試してみませんか」
「是非」

野にあるものすべてが、今日は特別に尊く思えた。



夜になり、 摘んできた野草はきれいに洗われ、少しあぶられたあと、熱湯の中で泳いでいる。
青く香ばしい香りの湯気が、流れてきた。
 諸葛亮が椀をふたつ並べる。

「どうぞ」

 そっと手渡された熱い野草茶を、趙雲は一口すすった。
 ほろにがく、すがすがしい。
青葉のような、春そのものの味だった。


「春の、贈り物ですね」
同じものを口に含み、美味そうに目を細めた軍師のやわらかな表情に、趙雲もまた頷いた。
「そう、…ですね」
春の贈り物──それは、野に芽吹いた若葉だけではない。

こうして向かいに、この人がいることこそ、何よりの恵みだと思った。







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春の名残を残した空は、深く澄み渡っている。
白く柔らかな雲が、青の広がりの中あちらこちらに浮かんでいた。
草の匂い、鳥の声、風に揺れる木々――
そんなふうなものに囲まれた時間が流れている中で。

びゅう、と槍の穂先が風を切った。

春の風の中で、趙雲が、槍の鍛錬をしている。
ゆるがず大地を踏みしめる両脚。
長身の体躯がしなやかにしなる度、鋭く空気を切って蒼房の槍が銀色の軌跡を描く。
どの動作を切り取っても、一幅の絵のように勇ましく美しい。

少し離れた草むらに腰を下ろした諸葛亮は、彼を眺めていた。
手にしていた竹簡は、もうとっくに読まれずに閉じたまま。
風が頬をやわらかく撫で、衣の裾をはためかせる。

目を細めながら、諸葛亮は思う。

(……趙将軍は、まるで天から遣わされた武神のようだ)




陽を受けた銀槍が、まばゆい光を跳ね返す。
天へ、地へ、流れるように舞うその姿に、見る者は誰もが心を奪われるだろう。諸葛亮も例外ではなかった。


一連の動作を終えた趙雲が、額に浮いた汗をぬぐいながら、ふと振り返った。

「何を、見ておいでですか」

ぼぅっとしている諸葛亮と閉じられている書簡に、不思議そうに目をすがめている。



見惚れていた、とは言えなかった。

「見事な槍術だと、おもいまして」

口にできたのは、そんな陳腐な台詞だけだった。






春の風のせいだろうか、軍師は張り詰めた雰囲気を消していた。
表情はいつもよりずっとやわらかくくつろいでいて、頬に落ちる光を受けて、白磁のような肌があたたかみを帯びている。
陽光を浴びた淡い衣が、光を透かして柔らかに揺れる。
小さな白い花々が、軍師が座る草の間に咲き乱れていた。
目を細めながら、趙雲は思う。


(……軍師殿は、まるで天から遣わされた叡智を司る仙人のようだ)




うつくしい、人だ。
ふたりとも、同時に、そう思っていた。
ふたりとも、声には出さなかったけれど。





益州、成都の春の宵。

豪族の開いた酒宴の奥まった一角、庭に面する座敷にて孔明は静かに酒を味わっていた。

庭では気まぐれな夜風によって花びらがはらはらと舞っている。
薄紅色の花弁が降り注ぐ池のほとりで、宴に興を添える楽士が幾人か、笛や弦の楽器を奏でていた。

手の中には白磁の酒杯。仄かに桃の香りが混じる酒は甘口で、ひとくちずつ、舌の上で春の味を確かめるように含む。


「諸葛軍師は、琴の名手であられるのでしょう。かの高名な東呉の周都督と合奏したこともおありだとか。ぜひ腕前を拝見したい」

主催者である豪族に話をもちかけられ、
「昔、少々嗜んだくらいのものですので」
と謙遜でごまかそうにも琴が用意され、瞬く間に軍師の琴を聴きたい、と場の空気が出来上がってゆく。


孔明は琴の前に座した。
そっと指先を触れさせる。
屋敷の主人は楽に堪能であるらしく、細工の美しい古琴は調律も整っており、弦の張り具合も心地良くて好感が持てた。

弾き始めると少しずつ高揚した。
うららかな春宵にふさわしく、やわらかい旋律を夜風に乗せてゆく。
心地良い夜だ。良い琴だ。
孔明は、いつしか口に甘い微笑を浮かべていた。


喧騒が止んで静まった酒席に妙音が流れ、昇るように夜空に吸い込まれてゆく。
さいごの弦音の余韻が消えてしばらく経って、拍手が起きた。
さいしょは控えめに。次第に大きくなる。

「お見事」
「ほんとうに。技巧も優れておいでだが、それ以上に心情が篭っていた」
「まこと春の宵にふさわしい麗しさだ」
料理も酒も美味であったし、庭の風情も楽もよかった。
満ち足りた孔明は気分良く夜道を歩いているが、じきに気付いた。

「……趙将軍。ご機嫌がお悪いように見えるのは、気のせいでしょうか?」

「………」

返答が、ない。

「………」

何か不始末をしてしまったか、と考えるが、思い当たることはない。
少々酔ってしまっているが、それも少しだけ。よい気分になる程度のもので、挙措を乱してもいなければ、主催者や客に無礼を働いたということも全く無かった。


「琴が」

黙々と歩いていた主騎がやっと口を開いたので、孔明はほっとした。

「お気に召しませんでしたか?」

「あなたの……琴の音が、あまりにも美しかったので」

「…それで?」

「誰かに奪われるような気がしたのです」

「……」


軍師の挙措は派手派手しくはなくむしろ控えめであるが、それでも隠せないものがある。
それが知性や怜悧さであるならば、よいのだが。
軍師の琴は見事だった。だが、自分以外の者があの音に聴き惚れていることが駄目だった。
それに、浮かべていた笑みがさらに駄目だった。 目元のやわらかさ、口もとに浮かぶ微笑もまた、駄目だった。

あのようなうつくしい微笑を誰かれとなくさらすなんて。
それに、あの周都督と合奏したとかいうのも、また。駄目だ。


「嫉妬、です。いってみれば」

今ちょっと百人くらいの敵兵に囲まれてあやうい状況です、というような苦い声音と表情で言ってぷいとそっぽを向いてしまった趙雲に、孔明はすこし目を見開き、そしてえもいわれぬ微笑を浮かべて、主騎の袖を引いた。

「では今夜これから、あなたのところで琴を弾きましょうか…?」

「…俺の、ために?」

「ええ。……あなたのためだけに」





花は、いつとはなしに咲いているものだった。

年が明けて寒さがゆるみ、風が柔らかくなる頃に、城の外縁や農家の庭先などに、白や紅色の花が咲く。
それらには梅や桜、あるいは桃といった区別があるらしいのだが、詳しいことは分からない。気にしたこともない。
それが桃花であれば、主君が義兄弟と共に酒宴をおこなう。
誘われれば断る理由もないので付き合う。さいごには酔っぱらいの面倒をみるはめになるのだが、それもまたいつものことだ。
ただ桃花の宴では張兄がたいていは機嫌がよく、大酒を食らった挙句の暴力沙汰に及んだりはしないので、普段の酒宴よりは楽かもしれない、それだけのものだった。

春の花の、柔らかく甘い色合いは、自分には縁遠いものとしか思えなかった。
というのに、今年の春は。

白に、淡紅。
陽に透ける花弁が、軽く指先を伸ばせば触れられそうな距離にある。
蕾から花開いて、まるで目覚めたばかりのように揺れている。
思いがけず、胸の内がざわめく。
薄い花弁は繊細で儚げ、それでいて、大地に根付く強さのようなものがある。

「趙将軍はどうなさったんだろう。立ち止まっちゃって、微動だにしねえけど?花なんて愛でる趣味、なかったよなぁ」
「そうだけど、絵になるよな」

通りがかりの巡回兵のつぶやきも、樹下にたたずむ偉丈夫にみとれる侍女の視線も意に介さず、趙雲の物思いは続く。

花見に、誘っても、よいのかどうか。
想い人は執務中だ。いつもの通り。
邪魔をするわけには、いくまい。

だが、花とは気が付くと咲いているのと同じく、気が付くともう散っているもの。
見ごたえのある内に、見せたほうがよいのではないか。
夜を待ったとしても、どうせあの人は夜になっても執務を続けるし、まして夜では花は見えない。


軍師殿はご休憩もなさらない、と文官が嘆いているのもよく聞くことだ。
ご主君のお為に働くのはご立派とはいえ、お身体が心配だよなぁ、と。

軍の補給、人事、諸侯への対応・・・どれも誰かが代われるものではない。
だからといって、机から一歩も離れないのは心身に負担がたまっていくことだろう。


・・・止めておくか。
・・・・・・いや。
やはり、誘おう。



「花見に?それはうれしいですね。執務が煮詰まっておりまして、歩きたい気分だったのです」

誘いは、あっさりと受諾された。拍子抜けするくらいに。

「きれいですね。風もやわらかくて心地良い」

「この道の奥に桃が咲いているのです」


主公たちの酒宴の場所は避けた。
軍師は静かな場所を好むような気がしたから・・・そして、二人きりになりたかったから。


流れてくる春の風は、剣の鍔に染みついた鉄の匂いとはまるで別世界のものだった。
樹木の枝に衣をまとうように群れ咲く淡い色の花弁。
風がふいて枝を揺らし、やわらかそうな花びらがふわりと舞う。


「・・・咲いているのは桃と仰いましたが。これは桜花ですね、趙将軍」
「花の区別など、つきません」
「ふふ」

袖で口を隠した軍師がおかしそうに忍び笑う。
春の花など自分には縁遠い、ものだったのだ。これまでは。

「誘っていただいてよかったです。──春は、ほんの短い間しかないのですから」


これまではそうだった。おそらく、これからも。
だが。
これから先の春もずっと、花の下で、またこの人と同じように肩を並べていたい──その想いが、胸に芽生えていた。







朝もやの中で、私は彼と対峙していた。
裏庭はまだうす暗く、二人の影だけがある。
木剣を握りしめると硬さと冷たさが手に染みた。
向き合う趙雲の顔は平素と変わらずに端正で穏やかであるが、木剣を構えるだけでも長身の体躯から武人としての気迫が湧きたって、一歩も二歩も下がってしまいそうだった。


「準備はよろしいですか、軍師殿」
趙雲が声をかけてくる。
眼差しはきびしく、それでいて優しさも込められている。
「ええ、いつでも」と返して、私は木剣を握り直した。


こちらをじっと見ていた趙雲が動いた。木剣が空気を切り裂き、私めがけて迫ってくる。
一撃を受け流すことだけに集中し、何とか、かろうじてその威力を弾き返して身を引いて、それからまた一歩前に出る。


もう一度剣がひゅうと風を切って迫った。今度は切り下げる動きだった。
反射的に木剣を振り上げ、必死にそれを受け止める。
趙雲の力には到底敵わずにあっさりと押し込まれ、腕が痺れた。
朝の冷気の中で早くも額に汗がにじんでくる。

十分に手加減をしてこうだから、当たり前だが本当に強い。
これで彼の何分の、いや何十分の一の力であるのだろう。


うれしくて、私は笑った。
「なにか、面白いですか?」
「貴公が本当に強いのが、うれしい」



形ばかりの鍔迫り合いを切り、また剣を合わせた。
何とか踏みとどまり、彼に向けて木剣で打ちかかる。
綺麗に受け止められて、カン!と鳴る小気味よい音に高揚した。

幾度も打ち合わせていくうちに頭と身体がふっと軽くなる感覚がある。
彼にとっては朝の鍛錬の前準備にもならぬお遊び同様の剣技であろうが、私にとっては全身と全神経を使う高揚と緊張感をもたらしてくれる。
朝の静寂の中に木が合わさる音が幾度も響いた。


趙雲の眼差しは真剣で、私をまっすぐに見つめている。
私に怪我などさせないよう慎重に間合いを計っているのだろう。


もっとやり合いたかったが、これ以上やって手を痛めると困る。
私は下がり、剣をおろした。



「ご面倒をおかけした、趙将軍。お付き合いいただき感謝します」
拱手して礼をいうと、趙雲の目が細まった。
「構いません。軍師殿に敵の一太刀めだけでも躱していただけると、お命が繋がる可能性が高くなります」


「槍だと、もっと強いのでしょうね」
「長さがありますからね」
歩きながら会話を交わす時間も心地よいものだ。
私は、彼の目を覗きこんだ。
「なにか、軍師?」
「貴公の目が、好きなのだ。趙雲殿、あなたは揺るがない。私も強くなれそうな気がする」
「某も、貴方の目は好きです」
「え?そうなのか」
「ええ。賢くなりそうな気がします」
真面目な顔でいうので、笑ってしまった。
「あはは…!それは気のせいでは」
「ひどいな、軍師」
笑っていると、朝日が射した。
朝靄はもうすっかり晴れ、澄み渡った空に太陽が顔を出していた。







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